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2017.08.29

「つながりの時代」を勘違いしてイタくなる人々

こんにちは。マーケティングコンサルタントの佐藤友子です。いや〜すっかりブログをお休みしちゃってすみませんでした。北海道の実家に四日ほど帰っていましたら、父の夕食の時間が16時台と激早で、意外と仕事ができませんでした。。でもその代わり、「サービスとは何か?」「商品とは何か?」「人々が喜ぶマーケティングとは何か?」の根本について、改めて気づいたことがあるので、せっかくなのでシェアしたいと思います。都会でバリバリやってばかりの方は、意外と盲点になってると思うので、何か参考になれば幸いです。

 

※帰りの飛行機にて。もうぐったり。笑(Photo By たくやくん(夫))

 

フェイクの楽しさ、偽りのリア充

 

SNSが発達して、一億総発信者と言われる時代ですが、そこにも落とし穴があるなと思います。先日朝の情報番組で、20代の会社経営者がこんなことをおっしゃってました。

 

「私が大学生の頃は、女子会って言ったら都内のいいホテルのスイートルームでシャンパン開けて、それをインスタとかのSNSにUPして〜って感じだった。でもそれって疲れるんですよ。アッパーがあるっていうか。もっといいランクのところ〜ってやってると限りがあるし。じゃなくて今は、本当に自分が「いい!」と思ったものを選ぶことがリア充の定義になってる。例えば古民家で過ごすとか。いいね!って言われたいことは根本的に変わらないのかもしれないけど、選定基準が変わってきてるんですよ。」

 

SNS世代の20代の子ですら、「SNS疲れ」が指南されています。発信するということは、何かしろ「いいよね。素敵だよね。」って言ってもらいたいっていう欲求があるのは確かです。若い世代は敏感で素直なので、すぐに動き始めます。いいねをもらえる投稿がフェイクだよなと気づいたらすぐに離れる。そういう意味でも、10代や20代前半の方々の動きというのは、敏感にセンサーを張って見ておくことが大事ですよね。

 

User Experience(顧客体験価値 以下UXと表記)という概念がありますが、あなたの商品や投稿は、どのようなUXをもたらしているでしょうか?あなたの発信は、フェイクの楽しさ、偽りのリア充になってしまってはいませんでしょうか?

 

田舎にいくとわかる、「本当の楽しさ」とメディアの威力

 

私が生まれ育った土地は、北海道稚内市というところで、人口35000人ほどの小さな市です。

最北端の石碑みたいなやつ。いつも誰かが記念写真を撮っているが今回は空いていた。

 

さらに小さい頃は2年間ほど、礼文島という離島で育っております。人口2600人ほどのさらに小さな島です。こうしたところで育つと何が起こるのか?と言うと、「楽しさ」に敏感になります。何と言っても娯楽が少なく、私はいつも原っぱや公園、裏山や浜で自然を材料にして遊んでいました。冬になると雪がありますから、雪合戦をしたり、スキーやスケートもありました。ひたすらかまくらを掘るという地味な遊びも。。。自分が「楽しい!」と思ったことを探してやるようになるのです。

 

今回の帰省では、トナカイと戯れ、

 

利尻富士を眺めてぼーっとし、

 

地元の水族館でアザラシにえさやりをし。。のんびり過ごした休日でした。

 

物心がつくと、確かに都会には憧れるのですが、いざ高校を卒業して進学で都会に出てみると、こんなもんか〜と思うこともありました。都会の人はお金を出して自然を見に行ったり、BBQしたりするのか〜と思うと、私の地元ではもっと自由にしかも庭で無料でできたのに!とカルチャーショックを受けたこともあります。都会では、と言うか人口が多く経済活動が盛んなところでは、「情報の多数決」が威力を持つのだと実感しました。「流行」に乗ること、「いけてる」と言われることが素敵、優れているという概念です。いけてることがUXとなるのです。

 

とはいえ東京都の人口のほとんどは、私のような地方出身者でしょうから、田舎の人の憧れがこのような流行を作り出し、消費を作り出すことに繋がっているのかなと思います。都会は都会で結構好きなのですが(空気の悪さ以外は)、田舎で育って良かったと思うことがあります。それは情報が溢れていないので、「本当にこれは私にとっていいことなのか?」っていうことを考えれるということです。遊びや誘惑が少ないんですよ。笑 なので必然的に、これは私がしたいのか?必要なのか?って考える暇があります。都会に出てきて思ったのは、情報量が多いので、自ら考えるという暇があまりないということです。

 

一方、都会にもいいところがあると思います。それはメディアのチカラが良くも悪くも田舎よりも弱いということです。田舎では情報源はTVや新聞でした。今のようにSNSが発達していなかったので、自ら情報を取りに行くということもできません。都会では様々な情報発信をする人がいて、自分好みのコミュニティーを作ることができるので、メディアに左右されることが少なくなるかなと思います。しかし田舎の方では、TVで何かが特集されたりすると、ダイレクトに消費に結びつき、信用します。いい情報も誇張された情報も、同じように素直に吸収されやすいのです。父がこんなことを言ってました。

 

「流行のものがTVで特集されると、すぐに飛びついて自慢する人がいるんだよな。流行ってるものを取り入れると、それで階級みたいなのを作る人もいるからな。」

 

都会でも田舎でも、自分が優位に立ちたい!という心理状態は同じなんだなと思いました。しかし今後は、より『個人の感性』で感じたものが選ばれていくようになっていくと考えられます。他人がどう言っているという基準は薄れていく傾向にあると考えています。とはいえ現代では「みんながいうからって、それ本当なの?」を考えてる人は少ないのでは?と思いますが、そこを考えるかどうかで、今後の生き残りが顕著に別れていくと思っています。過渡期という時期は気付かないものなので、今からしっかりと「自分で考える」ことを習慣化した人が残っていくなと思います。

 

「つながり」は営業活動の応援キーワードではない

 

その一つに、いくらSNSやインターネットが発展したからといって、「つながり」を勘違いしている人がいるのでは?って思います。ちゃんとつながりを考えましょうよ!ってめっちゃ思いました。帰省中もいろんな営業メッセージが来て、これじゃ淘汰されるでと思ってしまいました。

 

こーゆーメッセ、来たことあるよって方も多いと思いますが、

 

「友子さんの発信にはいつも共感しています。ぜひお会いしたいと思っていたので、先行案内の〇〇に来ていただけると嬉しいです。興味ありませんか?」「大事な人にだけ送っているメッセージです。このプロジェクトを応援していただけませんか?」

 

おぉーい、今だけかよ。ずいぶん都合いいな!!!!

 

って。。思いません?いつも共感しているという割には、そのメッセを送る時だけ直近の投稿に「超いいね」をするとか、応援してほしいってのも同じです。本当に会いたいのなら向こうから来てるはずなのに、なぜ有料で誘うのかが不思議でなりません。こういうセンスがないことを、そして相手に失礼なことをなぜしてしまうのか?と言うと、自分で感じていない、考えていないからなのではと思います。まるでお小遣いがほしい時だけ甘えてくる孫のようです。笑(私に孫はいないけど。。)もしくは、頼みにくいことをいう時に下手に出るのと同じ原理ですよね。(それは事前に関係性があればいいけど)与えてないのに相手から吸い取ろうとだけするから「チッ!!!」って思われちゃうんです。

 

なんでそんなことするんだろ?って考えて密かに調査したことがありますが、「特に疑問に思ってない」っていう答えが帰ってきました。つまり、「相手に不愉快を与えていることに気づいていない」「自分で感じて考えていない」ということが挙げられます。そしてこういう方々って、往々にしてコミュニケーションが苦手だったりします。苦手というか、なぜか人を怒らせたりイラつかせたり、悪気がないのにしてしまう。それは「相手の立場を考える」能力の欠如から来ていると私は考えています。筋トレのようなもので鍛えることができるので、まずは自分が「感じれる人」になり、私だったらどうだろう?と素直に、そして当事者として考えてみることと、その次に相手の立場を考えることです。

 

「つながり経済」の時代で活発になっていいのは、あくまでも「コミュニケーション」であり、「営業」ではないのです。コミュニケーションをすっ飛ばして営業をしようとするからおかしなことになります。知らない人にいきなり「付き合ってください!」っていう人は少ないと思いますが、薄い関係性の人に「買ってください!」って言っちゃってるのは同じことかなと思います。

 

偽りのリア充、コミュニケーション無き営業は今後淘汰されていきます。あなたの「つながり」は大丈夫でしょうか。お客様の「ホンネ」考えれてますか?お客様や相手は、あなたのアプローチで、いったいどんなUXを得ているのでしょうか?ふと立ち止まって考えてみてください。私も常に初心に帰って考えています。

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