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2020.03.25

才能がない君へ

こんばんは。佐藤友子です。今日は 仕事や人生の方向性について悩んでいる人に伝えたくて書いてみました。

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(ブログランキングの応援ありがとうございます。今日は才能がない人の才能の見つけ方についてです)

 

もしも私に、才能があったなら

事例があった方が良いと思うので、私の話を少ししようと思います。私自身は、自分に特段すぐれた才能があるとは思っていません。しかも、これといってインパクトのある特徴もない(笑)。けれど、それがじぶんの強みを探すキッカケになりました。

 

才能といっても程度がありまして、たとえば天才と言われるような人々は、幼い頃からそれを発揮しています。モーツァルトは5歳の時に初めての作曲(ピアノのためのメヌエット)をしたと言われていますし、アインシュタインは9歳の時にピタゴラスの定理に興味をもち、自力で証明したと言われています。うわーハンパねぇーー。

 

そういえば、プロの歌手として活動している私の知人は、4歳で初めて作曲をしたといっていました。さらに、声質がすごく良い。管楽器のような声をしているんですよ。才能だけではなく素質にも恵まれているので、歌手として活躍できているとも言えましょう。

 

いっぽうで幼少期の私と言えば、他人とのコミュニケーションをあまり得意とせず、家の裏山で枝の使い方を無限に考える遊びをするという、すでに暗さがかいま見える感じでしたし(笑)、就学したら授業は寝てるし運動は群を抜いてできないし、コミュニケーションはやっぱり上手くならないしで、「特筆すべきところなし」というような子どもでした。

 

ただ、授業を寝ている割に成績だけはよかったことと、コミュニケーションが下手なことが災いして小学校の中学年からはちょっと仲間はずれをくらったりしてました。ガチで放課後に呼び出されたりするんですよ(笑)。

 

美術の授業だけはすごく好きでして、通知表はいつも小学校〜高校の義務教育期間を通して5段階中の5でした。賞をもらったりとかしていたような気がしますが、それでもほとばしるほどの才能があるのか?と言われるとそうではないのが自分でもよくわかっていました。「中途半端なスキルと、それほどでもない才能がある」のを自覚している人ほど、己の才能の無さには敏感になるものなんですよね。

 

もしも私の中に、「これがじぶんの才能だ!」という強く光り輝くものがあったなら、今の私はいなかったと思います。そして誤解を恐れずにいうならば、多くの人が私のように「中途半端」で、だからこそ困っているのではないでしょうか。

 

 

「佐藤さんの言うことなら、やれると思える」

今は講座やコンサルティングをしているのですが、この仕事も実は、初めから好きでやっていたわけではないんですよ。できることや好きなことの種を育てていって、そのいくつかの種が発芽して、さらにそれがいくつか、ツタ植物のように伸びて育っていったイメージなんですよ。それで、そのツタを辿っていったら、今の仕事にたどり着いた。実は私が特筆すべき才能を持っていなかったからこそ、たどり着けたということもあります。

 

私の場合は、考えることや、仕組みを探求することが好きでした。あとは、どちらかというとこわがりな性格なので、エラーがよく目についたんですよ。悪く言えば、粗探しがうまい(笑)。そういうちょっとしたことを、欠点と言えそうな部分も含めて伸ばしていった感じ。どう伸ばすのか?というのはくわしくは講座などで提供していることなので、ここでは割愛します。

 

それである時、講座の参加者やコンサルティングを受けてくださる方に、このようなことをよく言われると気づきます。「佐藤さんが言うことなら、やってみたいと思える。」「佐藤さんが言うなら、やれそうだと思える。」「佐藤さんが言っていることは、私にちょうどいい気がする。」

 

私としては、特別なことをしていると思えなかったのですが、この「自分にもできそうかも」と思える関わりができることが、私にとって、他人と接している時に発動する強みなんですよ。なにも励ましていないのに「勇気が出た」と言われる(笑)。それは、私自身が「すごそうな人ではない」からであるというのも大きな要因です。悪くいえば「佐藤さんができるんだから、自分にもできるんじゃないか?」とほんのり思ってもらえているところも、きっとあるんですよ。もっといえば、「行動のハードルを下げる方法」を伝えるのは、私は得意ですし、だからこそ「やってみよう」と思ってもらえるのです。

 

だから私は私のようににガチで特筆すべきことがない人間が、何かできるようになる、才能として育て上げるまでのプロセスを自分で示してやってみることで、困っている人に少しでも勇気を与えることができたらいいな。と思っているのです。

 

強烈な才能がないからこそ

私は、自分に強烈な才能がないからこそ、平凡寄りな人のことはよくわかるつもりです。もしかしたら誰かから見れば、私もすごく能力や才能があるように見えるかもしれません。でもそれは、じぶんの手元にあるいくつかの種を大事に育てて、育った細いツタをたどっていったら、さらにそれを育てるものに出会えた。協力してくれる人が増えていった。そうしたら、さらに育っていった。という感じ。才能がない人が努力した軌跡ってだけなんですよ。いろんな人の助けを借りながら。

 

誰もが、自分に向いている仕事をしたいし、自分に向いている方法で社会に貢献したいのでは?って私は感じています。でもそれが、「本当にこれで良いのかわからない」。そうではないでしょうか。「ひとりひとりが、じぶんの人生を楽しくする」地味かもしれませんが、それができている人は実はとても少ない気がしています。あなたはどうですか?

 

私たちは、そんな「楽しい人々」を増やしたいのです。それが私たちの社会貢献ではないかと信じています。私をふくめ、強烈に光る才能なんて、ない人がほとんど。そんな自分を活かすも殺すも、やり方しだいということです。つまり、やり方を間違えれば、本当にただの中途半端な人のまま、一生を終えるということで、非常にもったいないことです。

 

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