命は一番大切なものではない
こんにちは。佐藤友子です。「命が一番大事!」と良く言われますが、個人的には間違いなのではないか?と考えます。
医療従事者のくせに
看護師のときは時々「看護師のくせに〇〇なんて不謹慎だ」みたいなことを言われたことがあります。まあ内容は機会があったら話します(笑)。
このように職業に対してのイメージや期待に応えようとして盲点が生まれることがあります。その最たるものが「命は大切なものの最高峰」というイメージによる盲点です。そもそも病院は命を守るところなので、私たち専門職だからこそ盲点になりがちです。
確かに健康な体がないとできることが制限されたり、命がないとそもそも何もできません。ですから医療職ではない方からしてもかなり説得力を感じますよね。
以前「命という一番大切なものを取り扱っていたもと看護師である佐藤さんが言っていることは説得力があります」と何度か言われたことがあり、命つえーな、そりゃそうか。と思いました。
100億円の貯金は使わないと価値がない
ちょっとセンシティブな話題になりますが、ではなぜ自死をえらぶ人がいるのでしょうか?命が何よりも大切であれば、自死する人はいないはずです。ここが盲点なんですよ。
国際的にみても、WHOの統計だと日本の自死数は総数で世界9位、G7内での統計ではダントツです。なお国の数は196カ国ありますので、かなり多いと言えましょう。
少し不謹慎と感じる方もおられるかもしれませんが、命というのはお金と似ていると感じます。いちように「お金欲しい!」「お金は大事!」と言われるけれど、仮に100億円現金や金融資産を持っていたとして、使えなくてもそのお金が欲しいですか?
銀行口座から下ろせない、換金もできない、配当ももらえない、本当に持っているだけという感じです。意味ないですよね?正確には私たちはお金が欲しいのではなく、お金を使いたいのです。
命も似たような感じがしませんか?ただ生きているだけではなく、好きなことをしたい、やりがいを感じたい、幸せになりたい。自分の命を自分のために有意義に使いたいのです。ですから、自分の状況に絶望を感じて自死を選ぶ人がいたり、生きづらさを感じる人がいるのも構造としてはわかります。
健康に悪いとわかっていつつも飲酒したり喫煙するのはなぜでしょうか?夜更かししたり髪の毛を染めるのはなぜでしょうか?(一部のカラーリング剤は発がん性のリスクがあると言われています)逆にいうと、これらを禁止されると辛い、人生の質が下がる、と感じる方がいるということです。
お金も命も、使い方によって結果が変わることが似ていますよね。
私にとって起業はそんな自分の「なりたい」「やりたい」を叶える一番良い方法でした。性格的に社会不適合だし、協調性はない。けれど仕事自体は好きだったんですよ。誰かの役に立ちたいけれどコミュニケーションがうまくできない。組織に属するしかなかったら、私自身も今頃どうなっていたかわかりません。
先日お世話になった叔母が癌で急逝し、とても寂しい気持ちになりました。病気は仕方がないもののまだ若かったですし、私の母と重なってしまいました(私の母も癌で比較的若い年齢で急逝しています)。
命があってくれたら嬉しいし、命がないとありがとうもいえないけれど、仮に痛い思いをして延命治療をすることは本人も私たち親族も望むことではありません。
このように病気ではなかったとしても、私たちは自分自身の命をどう使うか?は誰しも考えて損はありません。というか考えておかないと、人生の後半で大きな後悔というツケがまわってきます。起業においても、どのようなジャンルにするか?商品にするか?形式にするか?どんな人をお客さんにするか?誰と一緒に働くか?
その一つ一つが自分の命を使っていることであり、改めて何をどうしていくかを考えさせられた出来事でした。常に調整していきたいものですね。